1999年5月 中欧へ

 ウイーンとプラハへは、エアーのチケットと到着日のホテル一ヶ所だけ決め

後々のホテルはその都度決定しようという算段で出発した。

おばさんに どうしてこんな大胆な自由旅ができるのか?

そりゃア勿論英語に不自由しないからさ・・・・なんてことは 断じてない。

ケニアで立証済みの、個人的なガイドが今回の旅の相棒だから。

つまり、頼りになる我が娘であります。

 さてウイーンだ。

ウイーンで考えるのが、映画 第3の男。

プラターの大観覧車に乗り オーソンウエルズよろしく

「スイスなんてはと時計創っただけさ」と言ってみよう。

 

 

プラターの大観覧車内から

遠くにうっすらと見えるのがドナウ川

写真上部はウイーン市街地の写真

 

 

 

中央墓地でのあのラストシーンを再現して、アリ・ダバになったつもりで

トレンチコートに身をつつみ木陰で見守るジョセフコットンを無視して

颯爽と歩いてみよう (チターの調べと共に)等々・・・

 しかし 暑いのだ! おまけに中央墓地の広いこと、広いこと。

楽聖の眠る墓碑のあるところも、お〜いいったい何処なんだ!

正直あまりの暑さに もういや!と言いたくなった。

というのも、まずかの中央墓地へのルートがトラムで行ったのだけど

停留所が、ドイツ語で書いてあるし。ちいさい。

もちろん、日本みたいなアナウンスなんてない。で2人して窓の外を必死に眺め

ここだ!っと降りた所は正面ではなく、北だか、南だかの方だったわけ。

 もう帰ろうか?と言いかけていたとき、おばさんが

「モーツアルトの墓碑にいくの?」と そう多分言ってくれた。

で彼女に途中まで案内されて、やっとこさで楽聖の眠るとこまで 到着できた次第。

が映画の撮影場所はもっと遠いらしい。挫折。

似たようは場所を見つけそこで手をうってしまった。

チターは奏でられない。トレンチコートは暑くて着られない。

写真でなく。ビデオに収めて、カフェへ行こう。

 ホイリゲ  プラハ

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