第1回

一家4人でケニアを旅すれば・・・・・

 準備編

お金さえだせば 準備は簡単 だ。

しかし一家全員ともなると話は違う、とにかく安くあげたいのが人情でしょう。

しかもおじさん、おばさん(40代後半)込みなんだからバックパックというわけにもいかない。

と言う事で インド経由になった。

安い が 手間がいる。

 インド並びにケニアのビザが必要 これはもう 旅行代理店にお願いした。

ここらあたりが 地方在住の悲しさでもある。

そして イエローカードがいる。 つまり ヨーローパ経由なら不要なんだけど

インド経由では いる。

これは 旅行代理店にお願い とはいかない。

各自でするしかない。幸いなことに ここは地方とはいえ 大阪、

国際空港があるので、TELにて予約の後 無事終了。

10年間はこれでOK。

ツアーの予約も取れて いざ!!用意万端相整えリ!

と思いきや、おもわぬハプニングが??

 ケニアの第2の都市 モンバサで 暴動が起こっているとの情報。

すでにこのあたりから この旅行に なにやら暗雲が立ち込めていたのであった。

夫は早くもリタイアを呼びかけだした。

とりあえず 旅行代理店に TELをいれると

モンバサには行かない、終息に向かっている。大丈夫でしょう。とお墨付きをいただいて、

夫を説得。彼も渋々認め、あとは出発を待つのみと なった。

 1997年9月21日 日曜日 空は?快晴? 忘れてしまった。

12時集合、 14時 AI 319便 関空発 ムンバイ行き

メンバーは我ら家族と 2人のお嬢さん、1人のお兄さん 計7名。 

 出発編

 予定時刻より少し遅れて、機上の人となった。

そして最初の寄港地 香港に 到着。

ここまでの人達が降りた後、新しいミールが積み込まれこっちはこれからの長いフライトに備えるべく

準備していた。 が誰も一向に乗ってこない。

ばかりか我々にも降りるよう 指示があった。 飛行機になにかトラブルが生じ、その保守点検の為らしい。

 本日の日程は このまま 同じ飛行機に乗り 第2の寄港地 デリーに寄り、最終地ムンバイに23・30PM到着

ホテルに1泊の後 翌日早く、ナイロビに出発だったはず。が・・・・

 さあて これからが我らが娘の八面六臂の大活躍となるのですが

それは 次回の お・は・な・し 

第1回終

 

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