序章

ケニア&タンザニア サファリ三昧の旅

6年前のケニア旅が忘れられずついに意を決し飛び立つことに
襲い掛かるトラブルをとりあえず片手でブロック
その間隙をぬって
すばやくこっちがトランクに滑り込んだ

そして6年前の同じてつは踏むまい
飛行機は絶対にエアーインディアはお断り
ついでにサファリを十分堪能するために
ツアーではなく
現地旅行会社にオーダーメイドの旅を
お願いした。
DoDo World
ナイロビにある日本人スタッフの居る会社
我ら担当のさくら嬢は妙齢の美人でしたよ。 (^_-)-☆

エアーのチケットは自分たちで入手し
ナイロビ着から出発までの間のスケジュールを依頼

ぎりぎりまで出発日に悩んだけれど
いざ行かん赤い大地へ!

さてなにから話始めればよいのやら・・
私の旅日記は概ね日時を追って書くということをしていない
(中にはあるけど・・)
ならば今回も
思いつくまま気のつくままに
筆を走らせる。いや打ち込むまでじゃ

オオ・マイ・ガー ?

ナイロビに到着した時待っていてくれたのは運転手のムガンワ氏 かな?
(実は名前が遂に覚えられなかったのだ・・ (T_T) )
発音が難しい・・
なんとなく頭の中では日本語べらべらのガイドが付く!っとかってに
思い込んでいた。
そう。そうすればドライバーとガイドでコストアップなのだ。
いかにオーダーメイドとはいえ
本来ケチの大阪のおばちゃんだ。
無用の?金は使うまい。
従ってケニアのム氏とタンザニアのハシムドライバーは
共に英語オンリーだった!

オオ・マイ・ガー! \(◎o◎)/!

朝7時半にナイロビの5星ホテルから乗り換え2回でタンザニアへ抜けたのは午後1時半頃。
その間延々とバス・バス・バス・
道は相変わらずひどい・・(T_T)
タンザニアに着いてもまたサファリーカー 車車・・・
この日は合計9時間くらい乗っていた
しかしこれがオオ・マイ・ガーではない。

ケニアからタンザニアへ抜けるのだから当然ここに国境がある。
そして、イミグレがありヴィザ代を支払わねばならない。
そのイミグレでナイロビから同じシャトルバスに乗っていた
インド系親父はなんと
ヴィザ代を値切った・・
彼は親子3人で乗っていたのだが
彼の幼い娘の分を
「こんなに小さいのに同じ値段か!」っと
彼女は7.8歳くらいだったけどね。
オオ・マイ・ガー \(◎o◎)/!

ちなみにこのヴィザ代は出身国によって値段が異なるらしい。
われらに日本人はタンザニアではUS20ドル
さてあのインド親父はいくらだったのだろう?
なかには50ドルと言われていた人もあり〜〜だったからな〜

国境の町ナマンガ

ケニア&タンザニアは暑い!っと思われているかも・・・
特にケニアは赤道直下の国
しかし地図をよ〜くご覧あれ
ナイロビでさえ赤道よりわづかに南に位置する
ましてやタンザニアにいたってはさらに南
ってことはつまりは南半球で
日本が夏なら・・?
そう! 6月は冬なのだ!
ま めちゃくちゃ寒いてことはないけど
高地にあるってことで年間を通じ
からっとした天気。朝夕はひんやり
朝夕はセーターが要るね。
ドライバー氏は革ジャンきてたよ。
私達はフリースを着用
特にタンザニアのンゴロンゴロ自然保護区などは
ロッジがクレーターの上に建っているもんで
(標高2000M級の)
ロッジには蒔きストーブに火が入っていた。

ンゴロンゴロ・ワイルドライフ・ロッジ
ラウンジにて

ところが外では白系のおに〜ちゃんたちはと見れば

上半身裸!

セレンゲティとンゴロンゴロ以外のロッジには総てプールがあったけれど
我々はついに入ることはできなかった。(T_T)
にも関らずプールに飛び込んでる御仁は 押しなべて白系の方々
そして、飛び込んでは

オオ・マイ・ガー \(◎o◎)/!を連発していた

なら、入るなよ・・・

オオ・マイ・ガーシリーズ?はまだまだ続く・・・

本日のところはこのへんで・・・

ロッジケニア編

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